ロンドン五輪に続き、2016 年のリオ五輪でも見事、銅メダルを獲得した星奈津美さん。バセドウ病にも水泳にも常に前向きに取り組んできた、まっすぐな姿勢が印象的でした。

国際大会の代表に選ばれた矢先の身体の異変

 私が水泳と出合ったのは1歳半のときです。中学生の頃にはオリンピックの水泳選手になることが夢になっていました。高校1年生の夏、全国大会で初めて優勝することができ、オリンピックを本格的に目指すようになりました。身体の異変に気づいたのは、ジュニア国際大会の代表が決まったその年の冬の合宿の頃でした。なかなかタイムが出ないという調子の悪さよりも体調がよくないなという感じでした。合宿が終わり学校生活に戻ってからも、教室がある4階に上がるだけで動悸と息切れがして、しんどかったんです。今まではそんなことなかったんですけど…。

「バセドウ病」と診断された

 体調の悪さが何日も続いたので、母に相談しました。すると、「もしかしたら…」と言われ、母と一緒に病院に行くことになりました。実は母にも橋本病という甲状腺の病気があり、私の体調がよくないということを聞いて、すぐに察したようでした。
 
 病院で血液検査をしてもらい、甲状腺機能亢進症である「バセドウ病」だと診断されました。私は病名を聞いてもピンと来なかったんですが、すぐに母が先生に「娘は水泳をやっていて、初めてジュニアの国際大会に選ばれて、今タイムが伸びているところなんです。だから、水泳を続けさせたいのですが、このまま水泳を続けることは可能でしょうか」と尋ねたのです。それを聞いて初めて、「バセドウ病」というのが重大なことなのだとわかりました。同時に、「どうしても水泳を続けたい! 」という強い想いを抱きました。

薬を飲みながら続けた水泳

 担当の先生は、私や母の水泳に対する想いをとてもよく理解してくれました。少しでも早く競技に戻れるように、甲状腺ホルモンの値を2〜3か月で落ち着かせるよう配慮してくれました。「副作用が出るかもしれない」と言われ心配だったんですが、幸運にも副作用はほとんど出ませんでした。また、「最初の1か月間は脈拍が上がるような運動は避けるように」とも言われていたので、コーチの勧めで、ヨガや水中ウォーキングなどをやっていました。
 
 病気になるまでは週6日の練習だったので、急に泳がなくなって体力は相当落ちました。ちょうどタイムが伸びてきて、国際大会の代表に決まった直後の発症だったので、どうしてこのタイミングなんだろうと落ち込んだこともありました。でもコーチが「まだ高校生なんだから、焦らず身体をよくすることを第一に考えよう」と、身体に負担のかからない練習方法を一緒に考えてくれました。それまでは正直、練習が嫌だなと思うこともありましたが、毎日当たり前に練習できるのはとても幸せなことなんだと実感し、とにかく病気を治したいという前向きな気持ちに変わっていきました。

このままだと水泳を続けるのがきついかもしれない

 16歳から24歳までの8年間は、薬でコントロールしてこれまでどおりに水泳をやることができていました。でも2012 年のロンドン五輪が終わって社会人になった頃から、練習がハードになると疲れがとれにくいと感じるようになってきました。2014年の大会では、バセドウ病を発症したときと同じような息苦しさを感じることもありました。
 
 少し不安になったので病院で検査をしてみると、数年間安定していたホルモンの値が倍近くまで上がっていたんです。先生からも「これは苦しかったでしょう」と言われました。とてもショックでした…。初めて診断されたときよりもショックだったかもしれません。
 リオ五輪がもう2年後に迫っているのにどうしよう、と。薬の量を増やして様子をみることになったのですが、それでも不安で、診察が終わってすぐに母に電話をしました。母の声を聞いたら、どんどん気持ちがおさえられなくなって、病院の外で泣きじゃくってしまいました。「このままだと水泳を続けるのがきついかもしれない」と母に話したら、「そんなに不安ならもう一度病院に戻って、よく話を聞いてみて。薬だけじゃなく手術するという方法もあるはずよ」と言ってくれました。
 

診察室へ引き返し、手術を決断

 電話を切り、水泳を続けたいという一心で、私はすぐに診察室に引き返しました。ここまでオリンピックのためにトレーニングを積み重ねてきて、あと2年というときに「無理をしないように」と言われても、私は泳ぎたかったんです。結果を出すために思い切り。そして、もう一度先生と話をしました。
 
 オリンピックに向けて思い切り泳ぎたいという想いを先生に伝えると、時間がかかる放射線治療より手術を勧めてくれました。私は手術に対する恐怖よりも、水泳のために今すぐにでも手術を受けたいという気持ちが勝っていたので、ほとんど悩まずその日のうちに手術を受ける決断をしました。病院に戻ってもう一度話を聞いたほうがよいと、母が冷静に助言してくれたことが本当に大きかったです。

落ち着いて過ごせた入院生活

 入院も手術も初めてでした。母が病院に来てくれたので、私は意外と冷静でいられましたが、手術室にいたほかの患者さんのなかには震えている人もいました。看護師さんはよい意味でサバサバしている人が多くて、そういう人たちが周りにいてくれたおかげで、自分も不安にならずに助かりました。
 
 看護師さんは術後の痛みのことをすごく心配してくれましたが、痛みはあまりなくて、とにかく喉が渇いて仕方がなかったです。手術の前日から翌朝まで水を飲んではいけなかったので、翌朝に飲んだときには、お水ってなんておいしいんだろう! と感動したのを覚えています。
 
 先生も看護師さんも、私が少しでも早く競技に戻れるように、戻ってからのことや手術後の傷のことも含めて、いろいろとサポートしてくれました。私は競技者なので、ドーピングの関係で使える薬に制限があります。麻酔薬は申請をしなければならないので、看護師さんにはいろいろ相談させてもらいました。それに、私のことをすごく調べてくれていたんです。私は嵐の大ファンなんですけど、看護師さんが「実は私もファンなんです」と教えてくれて盛り上がったり(笑)。
 
 入院するまでは病院の食事ってあまりいいイメージがなかったんです。でも食べてみたらおいしくて。食欲はあったので、看護師さんに相談して手術後は予定よりも早くおかゆから普通のご飯に変えてもらいました。看護師さんは、回復の早さに驚いていました(笑)。

手術をして気持ちが大きく変わった

 手術を受けて、体調はもちろんよくなりましたが、精神的な部分も大きく変わった気がします。毎日ハードな練習をするので当然疲れるんですけど、その疲れもがんばって追い込んだからなんだと考えることができるようになりました。バセドウ病という不安要素がなくなって、思いきり練習できるようになったんだと思います。
 
 競技に対する気持ちも、より一層強くなりました。振り返ってみると、病気になったことはすべてがプラスになったと感じています。一度泳げなくなったことをネガティブにとらえるのではなくて、そのことがあったからこそ、練習できること、泳げることがこんなにもうれしいことなんだと、改めて気づくことができました。
 

 

バセドウ病を克服し、メダルを獲得

 2014 年には症状が悪化して引退かもしれないと思ったこともありましたが、手術をして2016 年の2月の検査では、ホルモンの数値が正常値まで下がり、先生から「もうバセドウ病ではなくなりましたよ。思う存分、オリンピックで泳いできてください」と励ましの言葉をもらい、これでさらに気持ちがスッキリして全力で挑むことができました。病気がわかったときは、リオ五輪でもメダルをとって最高の形で終わることができるなんて想像もできませんでした。母が手術という選択肢を教えてくれたことや、先生や看護師さん、コーチなど皆さんに理解し協力してもらえたことに心から感謝しています。
 
 バセドウ病の患者さんから手紙をいただくこともあるんですが、私ががんばる姿を見て勇気づけられたと言ってくださる方もいて、それを聞いて私自身の力にもなっています。

目標達成には積み重ねが大事

 私は自分が決めた目標を達成するために、自分が今何をする必要があるのかということをいつも考えています。決めたことは絶対にやり通さないと気がすまないタイプなんです。そういう積み重ねがあったからこそ、これまでずっと水泳を続けてこられたと思うんです。目標を達成するためにやろうと決めたことをやり通したら、きっと夢はかなうと信じています。看護師を目指す皆さんも、日々の積み重ねを大事にして、自分の夢に向かってがんばってください!

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※本記事は、弊社発行の無料情報誌『INFORMA for Nurse 2017春夏号』から画像を転載・引用しています。